量子の名づけ親 : マックス・プランク

このブログでは、節々に偉業を遂げた物理学者も紹介したいと思います。

まずは、ドイツの物理学者 マックス・プランク (1858~1947)
前回、光は波であると同時に 「屈強な弾丸である」 説明しましたが、それを最初に見破ったのがこの人。
まさしく量子論の生みの親と言ってもいいでしょう。
実は歴代の学者には結構面白い逸話があります。

プランクは学問に没頭しながら、ナチスのユダヤ人処遇に激しく抗議をした、ひじょーに正義感も強い、人間的によく出来た学者だったと思われます。

彼は最初、ミュンヘン大学に入学し、物理を勉強します。
そのまま熱力学の分野で論文を作成、ドクターの称号を得てエスカレーター的に講師になっています。
たぶん、ボクの予想ですが、ミュンヘンの頃は相当やる気がなかったんじゃないかと。
功績からしても、特にぱっとしたこともないので、テニスサークルにでも入ってウハウハとアレをヨロシクやっていたんだと思います。

とはいえ物理を専攻している時点で、
相当アナーキーなモチベーションは隠し持っていたのでしょう。
物理って、機械や電気電子と違って就職のつぶしも効きませんし、興味本位で学ぶ学問ですし。
その後プランクは電気回路で有名な「キルヒホッフ」に目をつけ、金魚のフンのごとく彼のまわりをウロチョロするようになりました。
「こいつは使える」 と思ったんでしょうね。

そうして、おこぼれを拾いつつも自分の味を出せるようになったプランクは、キール大学の物理学員外教授となり、
1892年にはベルリン大学の教授に昇進、見事 「人生の勝ち組」 に昇格したわけです。素晴らしいですね。
主な成果は、「ハイパー賢者モードにおける電子の最小エネルギー」。
それまで連続量としてしか考えられなかったエネルギーは、ミクロな領域では賢者状態のエネルギーの整数倍になる、
ということを証明しました。実は光子のエネルギーも、この人の名をとった「プランク定数 h」の整数倍になるのです。
物理学の頂上に君臨する知名度の高い学者は、相対性理論のアインシュタインや、量子力学のシュレディンガー等が
よく出てくるのですが、こういった天才たちの才能も、きっとプランクがいなければ発揮されなかったと思います。

プランクのその後、様々な研究所の所長としてオファーが来るのですが、
ちょうどその頃、ナチスのユダヤ人科学者の迫害がヒートアップしていた時代でもあり、彼はこれに対対し猛講義。
当時、プランクはまわりから、「あいつ空気読めない(KY)だよなー」 と、若干やっかいもんキャラのレッテルも貼られ、やむなく辞職。

しかしながら、最終的にはプランクは自分の名前をとった名門、「マックスプランク研究所」をゲッティンゲンに作り、
そこで天下り職員のごとく、あぐらをかきつつ、税金を使いまくってやりたい研究をやりたいだけやり、
エキサイティングな人生に幕を下ろしました。

プランク研究所は今なおドイツの物理界では名門。
この文章を書くにあたり、研究所のページを見てみました。ドイツ語でよーわからんかったのですが、研究の幅が広がってましたね。
現在は物理に加え化学、光学はもちろん、リテラシー的に生物や医学的なサムシングも実践しています。
また、おどろくことに心理学や社会学等、さながらソニーグループのようなトータルソリューションを扱い、
科研費も年間10億ユーロをこえる巨額のバジェットを国からふんだくっているようです。
めでたいですね。すばらしい!

三茶ロボット from Sangendyaya

量子の名づけ親 : マックス・プランク」への2件のフィードバック

  1. とくまる 8月 19, 2011 7:30 am

    はじめてお邪魔します。失礼ながらこの記事は、J.L.ハイルブロン著「マックス・プランクの生涯」を読まれた上で書いておられるものでしょうか。それだけご確認させていただきたく思います。

    • sancharobot 9月 6, 2011 1:28 am

      ご閲覧ありがとうございます。返信おくれてすみません。
      いや、これは私の大学時代のノートから参照してます。ひょうきんな教授がギャグまじりでプランクの話をしてくださったことを記載してます。
      若干おふざけですので、すみません流してやってください(__)

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